あとがき

始めに、私は野田秀樹氏の『Right Eye』という戯曲に深く感銘を受けた熱烈な読者の一人にすぎない、ということをはっきりさせておきたい。私は、純粋に「楽しそう、面白そう、難しそう」だから、『Right Eye』ビデオ化プロジェクトを始め、初めてこの作品を読んだ時から、役者さんとのリハーサル、撮影、編集にいたるまで、本当にクリエイティブで楽しい思いをさせて頂いた。なので、所詮自己満足プロジェクトとおもっていただいてもかまわない。でも、それでも、このビデオをご覧になった後で、もし「すっごい劇だな」とおもっていただけたとしたら、感無量である。そして何か心に残るメッセージを持ち帰っていただけたとしたら、それは、明らかに私の手柄ではなく、野田氏が残した劇のメッセージである。
すでにアメリカ生活が10年を超える私にとって、そして3Dを駆使した“高価な”ハリウッド映画ばかりが『エンターテイメント』として定着しつつある今だからこそ、観客の想像力を知的に試している様な、日本の、この作品に、日本語で、私の小さなビデオカメラで取りかかるというのは、それ自体に非常に深い意味が感じられた。
野田さんがこの劇の公演をした時は、セットチェンジも衣装替えもなく、それこそ3人の役者が’身体ひとつでこの複雑なストーリーを展開していたとおもうと、やはり生きた舞台の、生きた身体の表現の可能性というのは限りない。
ニューヨーク市にある市立大学ハンターカレッジの大学院で、(自分の英語力に幻滅しながら 笑)演劇のクラスを2、3受講したときに、同大学で演劇を専攻する3人の日本人に出会った。私がこのプロジェクトの話を持ちかけたとき、なんと、赤西さんと佐々木さんは、2年ほど前にこの『Right Eye』の公演を、ブルックリンのビルの屋上で行ったとのこと、びっくりした。(そのとき佐々木さんはカメラマン(一ノ瀬)役を演じた。)
ここだけの話、私はこの作品で一度もカメラを回していない。全てのシーン、3人の役者さんに交代交代でカメラマンをやっていただいた。この作品に限って言えば、『手づくり感覚』をできるだけ盛り込むことで、ある意味舞台特有である“時空からの解放”みたいなもの(まさにこの作品のテーマでもある)を表現できるような気がしたからだ。同じ様な意味を込めて、3人の役者さん達には、あえて、あまり(主にリサーチに基づいた)役作りをしない様に、お願いしたのも事実である。
野田氏の作品に限って言えば、作品全体にちりばめられた、宝石の様な言葉(あるいはフレーズ)ひとつひとつも、重要な登場人物のひとりであることもここで強調しておきたい。
3週間前に、日本は東日本大震災に見舞われた。われわれ日本人にとって、いきなり、『死』が生活の一部に感じられる様になった。
残されたものは、残された瞳で、残された夢を見続ける義務がある、いや、自由がある
という痛々しくもシンプルで無垢率直な野田氏からのメッセージは、私を含め、先がはっきり見えない暗闇に新しい一歩を踏み出そうとしている多くの方々への、かけがえのない贈り物であることには間違いない。
最後に、今もアメリカで活躍を続ける才能溢れる3人の役者さん(赤西里佳さん、浅野愛美さん、佐々木季生さん)と、(撮影が主に行われた)グルーバースペースを快く使わせてくださったハンターカレッジ演劇学部、そしてもちろん野田秀樹さんと故・一ノ瀬泰造さんに、今一度ここで深くお礼を申し上げる。
ー玉川上水
2011年3月31日